かもとかち

自分と対話します。

クソ精神病棟での日常。

 精神病棟では何もすることがない。しなくてもいい、が正しいのかも知れないが、どちらかと言えばすることがないの方がしっくりとくる。

 そうすると、否応なしに考えこんでしまう。本当の自分と向き合わなければいけなくなる。暇が過ぎると人間は余計な事に意識が飛んでしまうものだ。必要のないことを重要なものであるかのように悩み、深く考え込んで、そして病む。

 それから目を反らすために勉強したり働いたり目の前のことに頭を一杯にして多くの人は生きていくのだろう。哲学なんてものは、僕は心の贅肉だと思っている。

 

 朝になると、病室に例のおばさんがやってきて僕に手紙を渡してくる。そこにはその日の全体の予定が書いていた。

 わざわざ教えてくれるために書いたのか。そんなお世話はいらないのに。むしろ、こうしてやって来られることのほうが迷惑なのです。僕は心を鬼にして冷たい、いかにも、あ~めんどくせえなあ、という態度を示して適当におばさんをあしらった。

 わざわざやって来るのに一言も喋らず手紙を渡していくこの距離感。これが小学生ならまだいじらしいのだが、当人は白髪混じりの昭和に生まれたばあさんである。ハッキリ言って恐怖しか沸かない。

 初対面のときはインパクトで面喰らってしまったが、あれは境界性人格障害じゃないだろうか。いわゆるボーダーと言われている女性に多いもので、俗に言うメンヘラとはこの障害を持つ者が多数を占めている。と言っても、成長して多くの人と関係を持つことで、ほとんどは症状が治まるものなのだけれど。あの年であれはもう手遅れだな。自分で恋愛禁止にされていると言っていたし、かなりのことをやらかしてしまったのだろう。そんな相手に付きまとわれているのだから自分は相当な綱渡りを強いられている。少しでもスキをみせれば刺されかねぬ。思えば初日にわざわざ反応してしまったのがダメだったのだ。ここではどんな相手とも関わり合いを持つべきではない。精神がおかしい人間の地雷はどんなところに置かれているかわかったもんじゃない。

 

 洗面をして電動シェーバーを取り出す。何故電動なのかというと、普通の剃刀だと自傷する患者がぽこぽこ出てくるので、ここでは電動しか使うことができない。

 シェーバーのスイッチを押すと、2秒ほど動いて、ピタリと止まってしまった。そうか、これは電動だから充電しなくては動くわけがない。しかし、そうなると別の問題が出てくる。

 どうやって充電すれば良いのだろう。

 病院にやってきた際に電動のみとすでに言われていたので、その準備はちゃんとしてきたつもりだったが、入院して初めてわかったのがケーブル類は持ち込み禁止ということだ。これは上と似た事情で、首吊りなどの防止のためである。もちろんそのときにシェーバーの充電ケーブルはその場で没収されてしまっていた。なら、どうやって充電すれば?

 看護師にそう尋ねると

「ん~、ご家族の方に充電してきてもらうか、電池式のものに変えてください」

 と言われた。

 不便すぎるだろう。

 電池式なら最初にそう言ってほしかった。僕は普段ではただの剃刀で十分なので、電動なんて病院以外では必要がない。悲しいことに、いま手に持っているシェーバーはもうほとんど使い道がなくなってしまった。奮発して5000円のやつを買ったのに。電動のものと言われたら今どき大多数が充電式のものを買うに決まってるだろ。

 そんなこともあって、僕の顔は日を追う毎に不様な様相を醸し出していった。生気がなくなっていった。だんだんと、この病棟に相応しい見た目へ変貌した。

 

 廊下では、みな懲りずに宛てもなくウロウロとさ迷い続けている。

 不気味過ぎて、最初は彼らのこの行動が理解できなかったのだが、今ではなんとなくわかってしまう。

 ジっとして、考えてしまうのが怖いのだ。

 元々精神を病んでいるだけあって、それぞれ胸中にはドでかい爆弾を背負っていることでしょう。それと向き合うのはさぞ恐ろしいもので、彼らなりの自己防衛なのだ。気を紛らわせている。そして、それを理解してしまえる自分も、いよいよ持ってまずい事態だ。

 身も心も精神病患者らしくなってきてしまった。あの徘徊集団に自分が並ぶ未来が来るのかと思うと、不安でしょうがない。この気持ちを忘れず強く正気を保たなければ。他人の介入すら気にしなくなって、自分のことに精一杯になると、ああいう、世間様のいう、きちがイになってしまうのだ。

 

 ロビーに出て患者たちを見回した。本当にここは爺婆しかいない。若くて四十~くらいか。どう頑張ってもここにいる患者たちが外で自立できるビジョンが浮かんでこない。法律で死ぬことすら許されない人たちの掃き溜めだ。まるで現代の姥捨て山のようだね。僕は何故ここにいるのだろうね?

 

 ロビーのテレビではワイドショーが写し出されている。芸能人のお気楽なトークはきらびやかに映え、ここではうすら寒く人生の貧富を突きつけられているような気がしてならない。そんなことをぼんやり考えていると、隣に若い女性が座った。

 ここでは病院服が支給されていて、みなそれを着用しているのだが、彼女は違う、ラフなボーダーの黒とねずみ色の長袖に下は学校の体操服みたいな紺の短パンを着ていた。おそらく別の患者の面会に来た人だろうか。すると

「最近入って来た人でしょ? 若いね」

と隣に座った女が言った。

 

 聞けば彼女もここの患者らしかった。

 病院服はださいから自前で用意したものを着て、たまに家族が面会に来たときに洗濯やらそういう身の回りの物を持ってきてもらうのだそうだ。そんな方法があったのか。それにしてもこんなところで服装なんて気にしてもしょうがないと思うのだけど、女性が服を着るというのはそれくらい男とは考え方が違うのかな?

 顔はさすがに化粧はしていないだろう、それでも整って見えるのはなかなかの美人なのだろうな。最近はもう、自分でも美醜の基準がすっかりわからなくなってきてしまっている。彼女は美人なのだろうか、それともここにいる間に目が可笑しくなってしまったのか? いまいち魅力を感じない。

 今まで僕が彼女の存在すら気づかなかったのには理由があった。彼女の病室は他の病室とは離れにあって、そこではもう一人の若い女性患者と相部屋をしているそうだ。もう一人のほうはずっと眠り呆けていて一歩も動かないらしく、他に同年代の人間もいないので、ほぼ病室から動かない日々を送っているのだとか。同部屋に同年代がいるとは羨ましいな、こっちはおじいちゃんしかいない。

 病室を出るのは食事の配膳を片すときだけ、相部屋の分も一緒に窓口に届けるそうなのだが、今丁度そのときにテレビを見ている僕を発見して話しかけてみたそうだ。

 確かにこの場所は、若いというだけでかなりちょっかいをかけられる。それに気付かず初日は変に絡まれすぎてすっかりパニックになってしまったし、それで病室に引きこもりがちになってしまっていたので気持ちはよくわかる。

 

 彼女と軽い雑談をしていると、不意に手元が目に入ってしまった。

 あの一線になった水ぶくれは間違いない、リスカ跡だ。

 一時期、自堕落な集団に囲まれた生活を送っていたとき、周りにいた女はみんな、畑を耕すかのように手首をずかずかと切っていた。なので、これを見ると郷愁の念すら感じる。

 この女もあいつみたいに似たような辛い境遇があるのか? と思い始めると、いけない。自分はそういう可哀想な女の力になりたくて頑張って、でもそれは思い上がりで、自分にはなにもしてあげられない無力感だけが残り、結果こうしてここにいるのだ。どうしようもないやつと関わるとどうしようもないトラウマだけを残される。誰かのためにだなんて考えは、人として間違っている考え方だ。二度としない。これからは他人の不幸も鼻で笑ってやる生き方をしていくのだ。

 

 するとテレビでは、ここ連日起きている芸能人の不倫騒動が取り上げられていた。

 不倫と聞くと苦い思い出が蘇る。前に付き合っていた彼女が既婚者と不倫していた過去があったのだ。

 元々彼女は結婚していたとは知らず、男に騙された形になるのだが、それが発覚した後も良いように言いくるめられて、だらだらと不倫関係を続け、結局男側から連絡が来なくなった。都合の良いように使われて捨てられて、でも本人は自分がそういう扱いを受けたことを認めたくなくて、壊れたように「不倫のなにが悪いんですか?」と付き合っている僕に尋ねてくる。本当に可哀想なやつだ。愛してやまない。だけど、好きになればなるほど、その不倫していたという事実が僕にとって気に食わないものになっていく。大事なものを粗雑に扱われた気分になる。最後には「何故そんなに自分を大切にしないのか」と嘆かれたが、それは逆に言いたいセリフだし、そしてその原因はお前だ。

 

「こういうの、どう思う?」

 隣の女に尋ねてみた。

「元カレが結婚してたんで、別に悪くないと思うなぁ」

 まるで関係ないかのような素振りで彼女はそう答えた。

「え、そうなんだ」

 さすがにこの返しはびっくりした。

 

 別に悪いかどうかは聞いていないのに「悪くない」と答えるのは、やっぱりそう自分に思い込ませようとしてるのかなあ。それともテレビに対して言ったのかな。どちらにせよ自分がしているから悪くないというのはちゃんちゃらおかしな理論だ。やはり、こいつも精神異常者なのだなと思い出させられた。

 

 その後、病院に預けている携帯の使い方を聞いて女と別れた。

 入院時に渡された荷物の預かり表を持って手続きをし、閉鎖病棟では使ってはいけないので外出届けを出して受付ロビーまで移動する。

 携帯で母親に面談に来てほしいと電話をした後、久々にネットサーフィンをして、ここのブログも書いたりした。そして携帯の充電がなくなってきていることに気付く。上にも書いた通り、ここではケーブル類が使えないので充電器も没収されてしまっていた。さっきの女がモバイルバッテリーが必要だと言っていたので、面談の前に買ってきてもらわなければ。

 そして携帯の充電の減りが異常に早い理由を思い出した。以前Androidの開発アプリが異常に電力を消耗していて調べてみたところ、OSを最新のものにアップデートした場合、機種によっては無駄に多くの処理を行ってしまうようになり、そのせいでバッテリーの消費が早くなると書いていた。その解決方法が携帯端末の初期化が手っ取り早く、面倒だったので放置してしまっていたのだ。

 横着をしてしまった。どうせろくなアプリもないし、ほとんどのデータがクラウドGoogleに保存されているだろうから今すぐ初期化をしてしまおう。

 

 これがいけなかった。

 携帯というのはauなどのキャリアがあって、連絡先などはGoogleは保存してくれない。そういう設定もあった気がするけど、今の機種に変更するとき携帯ショップに行くのが面倒で、ネット注文で適当に済ませてしまっていた。

 

 連絡先が全て消えてしまった。

 

 その前にラインも消したりしたけど、電話番号などの必要なものは消さずに残していたのに。もう、ない。

 明日母親が来なければ家にかけることもできない。電話番号を勝手に覚えてくれる機能のせいで、誰の番号も覚えていない。彼女の番号もわからなくなってしまった。向こうから掛かってくる当てもない。完全に関係が切れてしまった。

 僕はいつもこうだ。目の前の小さなものに目がくらんで大切なものを失ってしまう。今回もたかが携帯の電池惜しさに今まで築いた全ての関係がなくなってしまった。

 下らないことをグダグダ考えたせいで目の前の事柄が疎かになってしまった。

 心の贅肉のせいだね。